平 親宗(たいら の ちかむね、天養元年(1144年) - 正治元年7月17日(1199年8月10日))は平安時代末期の公卿。平時信の次男。母は藤原基隆の女[1]。正二位、中納言。異母兄弟姉妹に時子・時忠・滋子らがあり、子に親国・親長・宗宣らがある。
平清盛の縁戚につながる一人でありながら、異母兄の時忠と年齢が離れていたこともあり、平氏の勢力拡大時においても一貫して後白河法皇の側にあった。丹波局(江口の遊女)所生の第十皇子・承仁法親王(第63代天台座主)の養育にあたるなど絶大な信頼を得る。そのために治承三年の政変で、院の近臣の一人として右中弁の職を解かれている。
こうした経緯により、寿永2年(1183年)に平氏一門が都落ちした際には随行せず都に止まったが、同年12月の木曽義仲によるクーデターで解官される。翌年には還任するが、文治元年(1185年)12月に義経支持派としての行動を高階泰経・平知康らと並んで頼朝に弾劾され、またも解官の憂き目に合っている。文治4年(1188年)6月、大納言・源定房が出家して源氏長者の象徴である淳和・奨学両院別当の職が空席となった。後任には権中納言・源通親が就任することが有力視されていたが、親宗は参議・左大弁でありながら「平氏も王孫であるから両院別当になる資格がある」と主張して通親を激怒させた(『姉言記』)。正治元年(1199年)に正二位・中納言となるが、これを極官として同年逝去。
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平氏一門の中では平重盛一家に近かったとされ、娘の一人は重盛の長男維盛の側室になっている。また別の娘は太政大臣西園寺公経との間に左大臣実雄を産んでいる。
家集として『中納言親宗集』がある。また日記として『親宗卿記』を書き遺している。